新聞実行委員会に落ちた課題文章  「わたしの好きな〇〇」

私は音楽が好きです 思い出には音楽がいつもつきものでした

最近高校に入学してから音楽への愛が増しました。

理由は恐らく言語学習の影響が強いです この学校に入学してから、vrが届き仮想現実に触れることになり、言語学習と海外の友達を作ることを目的にvrcを始めました

言語を学習したり、違う言語を使って人と話していくうちに日本語以外で歌われている音楽にも興味が湧いてくるようになりました

韓国の歌や洋楽も前よりたくさん聞くようになりました

自分の中で日本のうたは思い出が沢山あるのでまずその思い出を話すことにします

私の人生の中で支えとなってくれる音楽はやっぱり日本語の曲でした。 そして何より、私はほぼ曲調を大事に音楽を聞いていたのですが、歌詞に注目して好きな音楽を見つけるという音楽鑑賞の体系が普段より増しました。 2022年はとにかく変化の多い一年で、考え方も性格も変われば、好きな音楽のジャンルも変わった一年でした。

春はきのこ帝国というバンドを好んで聞いていました 「花束みたいな恋をした」にも出ている「クロノスタシスという歌が人気のきのこ帝国ですが、私は初期のきのこ帝国のノイズがかった曲調が好きで、「桜が咲く前に」という曲を春によく聞いていました この曲は別れの歌のように聞こえて、どうしても叶えたい夢は今いる場所では叶えられない気がして、違うところへ旅立つという曲に聞こえました。

私はどうしても「別れ」という言葉をテーマにした歌が好きで、私が好きになる歌はいつもどこか儚くても芯は強い雰囲気の歌なんです 中学生の時は日本のバンドをよく聞いていました 「クリープハイプ」というバンドは当時中学生の私にとっては」ちょっぴり刺激的な歌詞が多くて、そのバンドの曲調と歌詞に翻弄されて毎日聞いていました 大人になりきれなかった大人が人間臭い歌詞を書いているのが好きでした。

この曲を作っている尾崎世界観は世の女の子を破滅させるくらいには人を沼らせて正気じゃない恋愛をして居るんだろうなとかいう勝手な妄想をしていた時期もありました

イントロのギターが魅力的で伴奏がとにかくかっこいいバンドです

平成初期のバンドも好きです 川瀬智子は天才です tommy heavenly6と、tommy february6は私の人生のサウンドトラックのワンシーンに入りました この2つのバンドをつくったのはどっちも智子ちゃんで、「闇の部分」と「光の部分」が対立されたバンドで、一方は甘くてポップなサウンドもう一つはロックで毒があるけど自由的な音楽で、2つのバンドは対照的です このバンドとの出いはよく覚えていないけれど、女の子特有のバイブが幻想的で、このバンドのおかげで春を乗り越えることができました 子供の頃の記憶は鮮やかで、何もかも新鮮で素敵に見えました 子供の頃よく見ていたクレヨンしんちゃんの歌を久しぶりに聞くと新たな出いがあります 「月明かりふんわり落ちてゆく夜」は、幼い頃ゲオに行き、クレヨンしんちゃんのcdを借りに行った思い出、テレビで日曜日に流れるクレヨンしんちゃんの再放送が流れていた思い出が蘇ります 改めてこの曲を聞くと気づくことがあります。

歌詞が良すぎる。なにこれびっくりした。 そもそも題名も良すぎる。

なんだよ月明かりふんわり落ちてく夜って。文学的すぎて子供の頃じゃわからなかったときめきがたくさんある 引用しきれないくらい最初から最後まで歌詞が詩的で素敵すぎる。 初心な心を表現した詩が素敵でわたしもこんな感性を持つことができたら世界の見え方が変わって彩度が一気に変わるんだろうなと思いました 音楽はわたしにとって支えとなる存在で人生を一緒に歩んでいける娯楽です 音楽は人生を豊かにする肥料としてたくさん蓄えて、これからも音楽はわたしにとって大事な存在になるんだろうなと思います

以上わたしの好きな音楽の話についてでした

思い出す ここにある

プロローグ

 

2022年の振り返りをしようと思っていました
リビングのテレビから流れるジャニーズのカウントダウンと同時に今年は新年を迎えましたが、去年のことはすっかり記憶から抜け落ちています
詳細に覚えている記憶も少くて、過去の自分は何をしていたのか振り返らない性格のせい、というよりも振り返りたくなくて、自分でツイ消しをしたり書いた日記を破り捨てたりで、今思えば、自分を振り返ることが怖かったんだと思います

 

日記をつけて言葉という形に起こしたのは去年始めてしたことでした

自分の思いを誰にも気づかれないままノートになぐり書きしている時間が好きでした

でも我に返ったあと恥ずかしくなってゴミ箱に捨てたのも自分です

 

当時聞いていた音楽を聞いてその音楽を聞いているときだけ過去の記憶に触れている感覚がするのが本当に好きで今もよくしています

唯一形として残っているのは音楽アプリのお気に入りの歌のリストでした これからも音楽にはお世話になると思います

 

 

 

 

まず去年3月、中学校を卒業しました。中学の卒業式はみんなとは違って、学校のみんなが卒業式を終えたあとにわたしは学校に行って少人数で卒業式をしました

生まれつき体が悪く、中学二年生の新学期からコロナの影響で学校にいけなくなってしまった私はとにかく憂鬱でした

学校に行くのも友だちに会うのも好きで、自分の体のせいで行動が更に制限されてしまうことは私にとっては残酷でした。小学校のときも体調を崩しがちで入院をしたりしていて友だちと会えなくなることはある程度耐えてきたものですが、先の見えない伝染病が終わる時をただ待つことしかできないことに腹が立ちながら

このままずっと家から出れなくなるのではないかというやり場のない不安に感情がぐちゃぐちゃになって目を腫らした日々が多かったです

結局修学旅行もみんなと行けないまま楽しんでいる同級生のインスタグラムのストーリーを見ながら自己嫌悪に陥っていました

そのまま卒業式の日になり、卒業式こそはみんなに会いたいと親にお願いした結果、

卒業式は出ずに、終わったあとにみんなに会いに行きました

 

義務教育が終了し、次は4月、高校入学でした

全日制の高校に行きたかったけど、私の体調と相談すれば全日制の高校に行けることは不可能でした

ずっと憧れだった高校生活も理想はシャボン玉みたいに弾けて

空白の中学二年間の学校生活を取り戻す希望もそこで消えました

隣の家の芝生は青く見えるもんで、私にとってはみんなで受ける授業も放課後窓から見える夕暮れ時のグラデーションがかった空を教室から見るのも、下校時に帰路が同じ学校の人の歩幅を見ながら家に帰るのも、部活動でみんなと一緒に共通の趣味で盛り上がったり、そんな学校生活が本当に羨ましくて下唇が赤色に染まりました

 

春は憂鬱でした。春色に染まった桜を見に、近くの小学校の近くにある桜を見に行きました

桜が咲いたにも関わらず、きのこ帝国の「桜が咲く前に」をリピート再生していました

地元はすっかり春の空気に吸い込まれて 暖かい風が私を包み込みました

「高校生になったんだし、なんちゃってでもいいから制服を買おうよ」

と母に言われ、制服を買ってその制服を着て写真を撮るために公園に行きました

学校にいかないのに制服を着てる自分が惨めに思えて、撮られた写真はいまはもう写真のフォルダにありません。母の両親が私を痛めつけて、自分自身の器の小ささにも絶望しました

 

「学校違くても定期的に話そうね」といってくれた友だちからはラインは消され、インスタグラムはffの関係の、その友だちにとって私は「知り合い」に降格されていました

 

ストーリーの一言でしか交流が取れなくなった関係は虚しく、蜘蛛の糸のように切れやすい曖昧な関係性は成人式になればまた一時の友情が生まれるでしょう

 

「人間関係リセット症候群」とかいう言語化してほしくなかった言葉が現代語として世にこびりついてふわふわした名前を盾に、簡単に関係性を切られてしまうのも全部令和ちゃんのせいにしていいですか??

 

髪を染めました 明るくなった色を見てはしゃいで、家族以外の誰も見せない私だけの色は特別で鏡を見たら明るい髪の毛にいつもときめかされました

 

私の誕生日は4月でした

誕生日はよく覚えています

皮肉にも、一番最初に誕生日を祝ってくれたのが私の嫌いな父でした

「誕生日、忘れた。いつだったっけ」

その一言に深く傷ついた私のことも知らずに、誕生日を祝ってきた無神経さにすごく苛ついてしまいました。

日付が変わり、誕生日を迎えたときも、数学の問題を解いていました

何をあんなに頑張っていたのか、今は過去の気持ちがわかりません

馬鹿な父を反面教師にして未来だけを見て今を大切にしてなかったことは少し後悔しています

 

 

 

蒸し暑く息が詰まる季節は嫌いで、蝉の鳴き声が煩いだけの暑い夏にいい思い出はないです

 

外にも出れないし

 

とにかく家で勉強をしていました

夏はちゃんと大学に行けると信じて勉強を続けていました

結局自分の体調との話し合いなのに無視してがむしゃらに問題集に手を付けて勉強をした気になっていました

勉強をすることで他の嫌なことから目をそらし続けていました

 

 

絵を描くのが好きでした

父から「お前は絵の才能がない」

と言われ、腹が立ち、デッサンの本を買ってりんごをデッサンんして満足してもうそのデッサンの本はいま勉強机の奥底に眠っています

結局、絵を書くことが好きでも、何者でもなくて

自分を表現するだの 感じたものを描くだの 全部くだらなくて

私は書きたいものを書いて、素敵な絵ができたらそれで良かったのに

私の芸術的センスを勝手に評価してくる輩が 言葉の鈍器で私の自尊感をずたずたにしていくからそういう人が心底憎かったのです

諦めて絵を描くのをやめてしまうのも 馬鹿みたいで 私は私が書きたいものを書いて 世間体に流されない 私だけの絵を描くと決めた 氷水が徐々に溶け出した夏でした

 

夏はシューゲイズとドリーム・ポップに出会いました

むさ苦しい夏と調和したノイジーな轟音は心地の良い音楽でした

韓国人のネッ友におしえてもらった韓国のシューゲイザーバンド「parannoul」の

「Beautiful world」は、「リリイ・シュシュのすべて」という映画のセリフが冒頭に入り、曲が始まります。夏にこの歌と出会えて良かったです

 

 

 

 

定期的にメイクをして写真を撮るのが好きでした

可愛い女の子。髪を巻いてリップを塗って一人で騒いで写真を撮る。虚しいけど、自己肯定感を保ち続ける方法は美的感覚を磨いて可愛い女の子になる とういう方法しかなかったのです

 

読書の秋ということで本を読むのを始めた私は  そう簡単には続かず 青空文庫で見つけた短編小説を漁り、満足するというやり方でした 太宰治だの 夏目漱石だの 森鴎外だの 全部活字が難しくて 最後目で続きませんでした

今年は 人の死なない 幸せな小説をたくさん読みたいです

 

初めて学校に行きました 数日間だけのクラスメイトはいろんな人がいて、髪色がみんな鮮やかで 人の頭部を見るのはこんなにも楽しかったのかと思わせてくれる数日間でした

学校に行くために 久しぶりに電車に乗りました

乗り物にたくさんの人が乗っているのに、みんな小さい画面に夢中になっていて、このまま隕石が落ちても気づかないんだろうな くらいの勢いで 下を向いていました

電車に乗っている人にも一人一人の人生があって、想像できないくらいの人生を私の知らない人たちは 私の知らないところで 送っていることを考えたら もう少し楽に生きようかな と思えるようになってきていたのです

 

電車に揺られながら帰るときに聞いていたのは 大森靖子 でした

キラキラした曲調が歌詞をもっと引き立たせてくれました

 

私 毎日 電車に揺られて 明日はどうやって生きて行くべきか考えて生きていくこと 到底できないと思います

 

 

 

詩を書き始めました といっても まだ2作品しか作っていないけど

言葉を大切にしようと思った一年でした

冬、正直始まったばかりでこれと言って思うことは少なかったかもしれないです

クリスマスも東京は雪など降らず、ただの人肌恋しい寒い季節  です

 

冬が始まる合図の匂いは とんでもないくらいに虚無感が襲ってきて 希死念慮が芽生えやすく 危険な季節なんです

でも、クリスマスの前日のワクワク感とか。朝起きたときの胸騒ぎとか、こたつとか、新年の特別感あふれるテレビ番組とか、夜が輝く冬も 悪くないなー と思います

エピローグ

私が去年独り言に書き出した文章です

 

過去に辛かった時の自分を見て、なんであんなことで泣いたりしたんだろって恥ずかしがってたんだけど、その時は決めた選択が最善だって思ってたから決めたわけで、行動してみてわかったことなんて当時は考えもつかない選択だったし、後悔しないで過去の自分を認めてゆっくり生きていこうって2022に学習した 過去の日記を見てるときに、過去の自分が、昔は昔でちゃんと辛かったんだから、いずれ時が経って辛かったことを忘れても過去の記憶や出来事を軽視しないでって書いてあったから過去自分が未来の私にいった言葉を噛み締めて来年も頑張るの

 

。。。この言葉を今年も噛み締めて生きようと思います

 

今年は ラブリーに  今を大切に 時間を 進んでいきたいなー、、、と思っています

 

去年は本当にたくさん頑張ったと思います

思考を言葉に起こして 意見を言って コミュニケーション取った

すごく成長できたと思います 今年も 成長できるように 歳を重ねます